劉輝はそわそわしながら目の前で認めた書翰を確認している絳攸を上目遣いに見上げた。数回「書き直し!」と叩き返された後の最終確認だったので、ガミガミ言われる心配はなかった。ただ、じれったい。早く終われ、と口の中で唱え出したら止まらなくなり、じっくりと一文字ずつ確認するような絳攸と一人で勝手に忍耐力勝負をしていた。餌を前に待ったがかった犬のような劉輝の様子に絳攸は気付いていたが、この上なく冷ややかに無視していた。
 ――早く終われ早く終われはやくおわれ!
 劉輝の念が通じたように顔を上げた能吏の側近は珍しく表情を緩めた。
「よし、いいでしょう。合格点です」
 ぱっと笑顔になった劉輝は言いたくってたまらずうずうずとしていたのを爆発させるように机から身を乗り出していた。
「絳攸楸瑛!余は幽霊を見た!昨日府庫で!」
 児童の作文じゃないんだから、というくらい短い文章を続けざまに言い放ち、勢いに任せ挙手までしている。
 劉輝は早くこれを言いたくてたまらなかったのだ。ワクワクした笑顔で見つめられた側近二人は尻尾があったら絶対左右に元気良く揺れているに違いないと密かに思った。
 ――それにしても幽霊。しかも府庫。
 劉輝に押されて一瞬止まった思考回路が戻ってくると、偶然に絳攸と楸瑛は驚いて顔を見合わせた。
「おや、それはまた」
「府庫の幽霊だと?」
「どうかしたのか、楸瑛、絳攸」
 劉輝はきょとんとした顔をして腹心を交互に見た。
「いやあ懐かしいと思いまして。ねえ、絳攸」
「そうだな」
「なに?二人も幽霊にあったことがあるのか!?」
「ええ。昔ちょっと絳攸に誘われて幽霊退治をしたことがありまして」
 くっくっくと笑いをかみしめながら告げる楸瑛を「いいから茶を淹れろ!」と絳攸は怒鳴りつけた。二人の間に何があったのか知らないが幽霊退治、何とも楽しそうな響きではないか。劉輝はかなりうらやましくなった。
「それにしても」
 手早く茶の準備をしながら楸瑛は当時を思い出すような顔をした。
「あれだけの美女ならもう一度会いたいな。今度私もお供しようかな」
「お前、幽霊も範疇なのか。下手に手を出して祟られても知らないぞ」
「あはは。妬かない妬かない。勿論生身の君が一番だよ」
 あきれ顔の絳攸に笑い返す楸瑛。しかし劉輝はおや、と思った。
「美女?余が見たのは確かに美人だったが男の子供だったぞ」
「え、子供ですか?私たちが見たのは確かに女性でしたよ。かなりのそれも美人。ね、絳攸?」
「ああ」
 三人は目をぱちくりとさせながらしばし顔を見合わせた。
「府庫には幽霊が少なくとも二人いるってことか。邵可様に迷惑をかけてなければいいのだが」
「君は相変わらずそこにこだわるね」
「賢そうな子供だったから平気だろう。とにかく二人に質問なのだが、幽霊と仲良くなるにはどうしたらいい?」
 また何か変なことを考えてる、と絳攸と楸瑛は思ったが顔には出しても口には出さないのは、劉輝があくまで本気だということを知っているからだ。
「そもそも幽霊って物を食べれるのでしょうか?」
「あの幽霊は饅頭が好きだっただろ。美味しそうに食べていたのをお前も見ただろ?」
「そういえば……府庫の饅頭といえば」
 夜の府庫に饅頭。何かが引っかかって劉輝が考えようとしたら楸瑛が突然吹き出して、思考回路が飛んでしまった。何が何だか分からず目を白黒させている劉輝とは裏腹に絳攸はギロリと楸瑛を睨みつけた。絳攸手製の膨らまない煎餅饅頭を思い出して笑っているのがバレバレで、没の書翰の山から一つ取り出して頭を叩いてやろうかと本気で思う。
 そんな二人を見つめながら劉輝はぽつりとつぶやいた。
「饅頭か…。―――よし」

 執務室の昼下がりはどこまでも平和だった。






2010/09/22