「着いたぞ」
 吏部の入り口が見える位置まで来て、リオウは右上を見た。絳攸が小さくうなずきながら感謝する、と呟いた。
 朝廷随一の才人と名高い李絳攸が全く出鱈目な方向感覚を持っていると知って、リオウは驚くよりも大いに呆れた。元最年少状元及第者で天下の吏部侍郎を拝命し、尚且つ花を下賜された王の側近が言い訳がましく目印がどうのこうのとぶつぶつ言っているのを聞いた日には、ちょっとこの国本当に大丈夫なのだろうか、と心配したほどだ。うっかり迷子について記述がある書籍はあっただろうか、と縹家の大量の蔵書を思い浮かべたが、どれも当てになりそうなものはない。地図はしっかり読めて地理の感覚や知識も持ち合わせているのに方向間価格だけが狂ってるなんてどういうことだ。多少人為的なものを感じないでもない。もしそうならここまでなるくらいなら「誰か」は徹底的に手を打ったのだろうと思うとコイツも大変なんだな、と十を超えたばかりのリオウが二十代半ばの絳攸に同情した。
 そんなリオウは迷子とばれて以来絳攸に完全に案内役として目を付けられ、短期間で片手では足りない程その役目を全うしてきた。楸瑛のようにからかいもせず、律儀に毎回送っていくから頼られるのだとは気付いていない。
 そして今日も今日とてリオウはうろうろしている絳攸を見つけ、相手に見つかる前に回れ右しようと思ったところ捕獲されてしまった。仕方なく下手ないい分を聞かされる前に「で、今度はどこに行きたいんだ?」とリオウから切り出した。
 大体なんであんな誰も行かない様な場所にいるんだ、迷うならもっとまともなところにしろという希望を出そうかな、とリオウは半ば本気で悩む。
「この距離なら迷わないだろ。俺はもう行くからな」
「ああちょっと待て、リオウ。手を出せ」
 絳攸に背を向けようとしたところを呼び止められた。
「手?なぜだ?」
「いいから」
 不審に思いながらも出せばバラバラとなにかを沢山握らされ、もう片方も、と言われ左手も差し出すと同じように何かを大量にのせられる。こぼれそうになって慌てて両手をくっつけてから手を開いてみると、それは砂糖菓子だった。
 何だこいつは。俺が物欲しそうな子供に見えると言うのか、とリオウは憤った。そりゃ十をいくつか過ぎただけで背もまだまだ低いし、二十代ので長身の絳攸から見ればかなり子供なのだろうがそれでも朝廷での官位は仙洞省長官のリオウの方が上だ。なのにこの扱いにはちょっとムッとする。
「これは一体何だ?」
「お前この菓子が好きなんだろ?」
 当たり前のようにあっさりと言われ、毒気を抜かれる。手元に目を落とせば、確かに両手にあるのはリオウが嫌いじゃない砂糖菓子だった。しかしなぜそれを知っているんだという疑問はすぐに解決された。
「あいつが府庫の幽霊はこの菓子を持って行くと喜ぶ、と言っていたんだが、違ったか?」
「……府庫の幽霊」
 またそれか。全くどこまでその話が広がっているのかと思うと頭が痛くなる。だが同時に劉輝のホケホケした劉輝の顔と、側近に嬉しそうに報告する姿が思い浮かび、なんだか全て納得した。
 好きだと言った覚えもないのに確かにリオウの好みを把握しているのがあの王らしい。  無言のリオウを困っていると誤解したのか――いや実際困っているのだが、絳攸は言葉を補った。
「別に変な心づもりは無い。いつも案内してもらってる礼だ。受け取ってくれ」
 微笑みながらそう言われたら断る理由もない。確かに絳攸を送り届ける時、偶に何でこんなことをしなくちゃならんのだ、と思うこともあるから迷惑料として受け取ることにした。出来れば金輪際迷わないでほしいと思うがきっと無理だろうし、こんなに大量にもらったのだから羽羽と茶でも飲みながら食べるのもいいかもしれない。
「今日も助かった」
 懐に菓子をしまったのを見届けた絳攸が、去り際に頭に手を置いてくしゃりと撫で、完全な子供扱いに、リオウは今度こそ固まった。唖然としながら大きな背中を見送った。
 両手を見る。紙に包まれた砂糖菓子がいっぱいに広がっていた小さな手。
 絳攸の片手で余裕に持てる量なのに、リオウの両手にはやっと収まった。頭を撫でて行った大きな温もりを打ち消すように、何度か左右に振った。
 リオウの方が階級は上で、まだ一月程しか出仕していなくても朝廷で迷うことだってないのに。
 
 一握り悔しさを握りしめた外朝での出来事となった。






2011/08/10