■Unreasonable Seconds 「好きかもしれない」 真っ赤になった頬を長い髪で隠すように俯き加減で、でも狙ったような上目遣いは潤んでいて。緊張した震える声は絞り出すように細く、女の子が「好きです」と告げられる対象になったことは妬み嫉みを気にしないのならば正直楸瑛には数えきれないほどある。 その時々によって可愛いな、と思ったりうんざりすることもあるのだが。 でも今楸瑛の目の前にあるのは、そんな記憶を吹き飛ばすほど真っ直ぐで冷徹な瞳。挑戦的だと思えるほど澄んだ光をぶつけられて怯みそうになるのをどうにか耐えて、困惑を隠して見返し続ける。いっそふざけるなお前、とかののしられた方がよっぽど状況的に正しい気がするのによりにもよって「好きかもしれない」。ていうかかもしれないって何それ。愛の告白としては間違ってる。 はらはらと空っ風に吹かれて舞い落ちる黄金の銀杏に言葉だけがちぐはぐに浮いていた。 いやそれにしても数字と結婚してると確信していた腐れ縁の同僚から、引っかかるものがあるにせよ愛の言葉を投げかけられる日を目の当たりするとは予想外すぎて、楸瑛はうろたえつつも驚きすぎて冷静だった。だって百歩譲っても彼の管轄外のアミノ基の美しさや、いやいやもっと譲歩して漢詩の韻の素晴らしさを愛でるような事態ならまだ許容範囲内で対処できるが、まさかの「好き」。それも楸瑛に向けられているらしい。こっち方面は得意分野だと思っていた楸瑛は困り切っていた。「かもしれない」が付くところに彼の不本意さを感じる。 嫌じゃない――がドキドキもしない。変な感じ。正直に言えば――ちょっと嬉しい、気がするのは普通なんだろうか。 「珍しいね」 「何がだ?」 「あの李絳攸が理性的じゃないなんて」 取り敢えずいつものように軽く受け流す。そして誤魔化してそのまま逃げようという魂胆なのだが。 「俺にだってたまには理性をかなぐり捨てたくなる時もある」 ああ、それは解る。けどそんな日が彼にもあるなんて思いもしなかった。 冷めてるのに妙に投げやりな口調に心臓が飛び跳ねて、とっさに視線をそらした。マズイ、これじゃあ絳攸が本気だと認めたことになる、と後から気付いたが耐えられなかった。このままだと吸い込まれそうだなんて、どうかしてる。 見方によっては酷い態度にも思われるだろうに、絳攸は全く気にした様子で身をひるがえした。数歩離れてから再び白衣の裾がはためく。振り返った絳攸は楸瑛を指さして。 「覚えておけ楸瑛。俺は多分お前が本気で好きだ。そしてお前は俺のことを好きになる」 絶対だ。 それだけ言って今度は本当に去って行った。 その背中が見えなくなってからもずっと絳攸が消えて行った方向に視線を縫いとめられた楸瑛はぽつりと漏らす。 「言い逃げなんてずるい」 それも思いっきり不確定で彼らしくない言葉を確信している風に言うなんて。 でも、もう胸の鼓動は無視できないほど肥大していて、それでも取り返しのつかない何かに不思議と嫌な気はしなかった。 ■Subject with Awareness 珍しく絳攸の方からコンタクトを取ってきた、と若干期待しながら開いた携帯電話には「6時医学部1032」と単語のみが並ぶ三行メールよりも味気なさが突出した内容だった。せめて、スペースは欲しかった、とささやかに願う楸瑛だった。まあでも動詞がないが言わんとしてることは伝わるのだが。 楸瑛は自分の研究室でしばらく時間をつぶしたが、何度時計をチェックしても6時には程遠かった。壁にかかっている時計がおかしいんじゃないか、とパソコンで確認しても誤差はせいぜい2分弱。そんな自分に毎回呆れて、とうとう待ち切れず30分前には指定された部屋へ到着していた。ゆっくりと絳攸が来るのを待っていようという思惑があったのだが、実際はかなりそわそわしていた。誰もいない研究室でよかったと思ったのは、こんなに落ち着きがない様子を見られたらかっこ悪いからなのだが。 そして約束の時刻通りに現れた絳攸の第一声は「脱げ」だった。 そして現在。ジャケットだけを脱いだ楸瑛はベッドに寝かされ腕や指や頭の周りにまでパッドを巻かれたり、吸盤のようなものを付けられている。まるでマッドサイエンティストとその被験者だ。一体全体何が起きているのかさっぱりわからない楸瑛は、とうとう絳攸の作業を中断させて聞いた。 「ねえ、これ何のつもり?」 「人体実験」 ――やっぱり。楸瑛はガクッと項垂れた。だから畑違いの医学部だったのか。 もしかしてどこか2人っきりになりたくて、機密性が保たれやすい医学部を選んだのか、という淡い期待はもの凄く脆かった。 楸瑛に取りつけられたコードの先の機械に電源が入れられる。波状が画面に現れたところをみると、どうやら心電図や脳波の測定らしい。 ――もしかしてこれはあれか。何か変な薬でも投与されて、効果を観察させられるのか? 暗澹たる気持ちとはまさにこのこと。人体実験ジョーク説の低かった支持率はもはや地の底だ。 「安全だ」 よっぽど弱気な顔をさらしていたのだろう。ちらりと楸瑛を見た絳攸は何とも心強い一言をくれた。 「では始める」 おごそかな開始の合図にストップ。このままもてあそばれたのではたまらない。お嫁に行けない体になったらどうする。 「被験者に何の説明もしないつもりかい?この場合それは実験倫理に反する。せめて目的を聞かせてもらおうか」 右眉を器用に跳ね上げ楸瑛を睨みつけた絳攸は、手元の資料に目を落としながらぼそっと告げた。 「藍楸瑛の攻略法だ」 「――は?」 「目的。お前が聞いたんだろう。それで実験に同意する意思はあるのか?」 目をまん丸に開く。なんだそれ。攻略ってゲームじゃないんだから。 「そんなことしなくても君のこと好きだよ」 ポロっと出た言葉に自分でも驚いた。心電図に乱れはないのが不思議なくらいだ。 でも、全然理性的じゃないところからこの気持ちに確信が持てる。 驚いた表情を無防備にさらす絳攸に、楸瑛は柔らかい微笑みでこたえた。 2011.11.23(2012.1.3修正) 「子供が出来た」 ソファの上で雑誌をに眼を落しながらペンを紙に数度叩きつけ、どこか深刻に見える表情を取った絳攸はまるで論文を読むような淡々と言った。 ゆっくりと目を見開き楸瑛指にはさんでいた煙草を落した。何か物を書きつけた絳攸はそれから微動だにしなかった。 ごくりと唾を飲む音がやけに大きく響いた気がして、それでなくとも気が気でないのに楸瑛の緊張は高まった。 「こ、こうゆう?」 語尾が不自然に上がった上に声が裏返った。衝撃で頭が真っ白になりすぎて口をパクパクさせるだけで、何も言葉が浮かんでこない。楸瑛は男で、それは問題ないのだが、絳攸だって男だ。 世間の偏見云々は置いておいてあれこれしても妊娠するなど生物学的に不可能だ。天地がひっくり返ったって、神様にお願いしたって無理なものはどうしたって無理だ。P=0。そんな数式を思い出した。そうだあれは今日学術誌に寄稿した原稿で使った式だ。走馬灯のように人生のいろいろを思い出した。それって死ぬ前だよね?と自分に突っ込むが、虚しいだけだった。 絳攸の台詞だけがずっと今日びあまりお目にかからない狂ったCDを聞いているときのように、ぐるぐると楸瑛の頭上で何度も回っている。 よほど素っ頓狂な声だったのだろう。絳攸はめんどくさそうにゆっくりといつ見てもきれいで、そして九割がた不機嫌を象った顔を向けた。 「変な顔をしてるぞ。少ない取りえなんだ。大事にしろ」 「う、うん。気を付けるよ」 それより、と言葉を区切って告げた。動揺しているのがバレバレな程、声が震えている。情けない。 「こ、子供…って?」 きょとんという顔をした後、顔を赤くした絳攸は数秒後見ていたページを楸瑛の顔面に付きつけた。 「ヨコの十一番だ!」 それは絳攸が近頃はまっているクロスワードだった。肩を怒らせ去っていく後ろ姿を眼で追いながら、安堵と寂しさを味わった。 『子供が出来た。○○○○した。』 2010.06.10(森博嗣氏の本よりネタを拝借) 2012/01/04 |