カチャという音を耳が拾ったと瞬間、楸瑛は下手な抵抗を諦めた。フロアのライトがオンになると同時にぴたりとした黒い潜入用のスーツの背中に感じる冷たく硬いものは、確認せずとも人を殺せる力を持った鉄の塊で、憎たらしいほど感情を排した声で「銃を置け、ゆっくりとだ」。指示に従うと同じく「手を上げろ」。大人しく諸手を上げると人相が悪いギャングが群がり、楸瑛の体をまさぐった。セクハラ――もとい危険物を隠し持っていないかの身体検査。心配しなくても回収されたコルトのオートマチック以外は持ち合わせていない。身一つの商売には危険が付きもので、さてどうやってこの状況を乗り越えようか、と冷静に考える。この、筒状のはてしなく高い天井と銃を手にした敵に囲まれた、逃げ場がない圧倒的に不利な状況を。 そこへタイミングを見計らったように不埒な輩たちのキングが、ミッションを失敗した若造をあざ笑う余裕を見せながら登場ときた。まるでどこかのスパイ映画のワンシーン。 「さて、ここまで侵入したのは実に見事だが、少々詰めが甘かったようだな小僧」 あー痛ぶるのが好きそうなタイプだこの人。ポーンたちがあまり近付かないように、と諫めるのを無視して更に一歩二歩、三歩。 「君の身元は直ぐに割れよう。だが君が今すぐここで君のボスの名前と私の城に忍び込んだ目的を白状してくれれば手間が省けるんだが」 顎を掴んで強制的に左右に向かされる。触り方がねちっこい。 ――最悪。ゲイだ。 うーん、絶体絶命。色男ってこういう時辛いよね、と心の中で誰かに同意を求めた。 「ん?どうかね?」 思わず眉間にしわを寄せてしまったのだがそれがお気に召したようだ。一言も発しない楸瑛を楽しそうに観察する目はさながらサディスティックな猛禽類。ゾクゾクする。勿論嫌な意味で。 隣で「身元が割れました」と部下。なかなか感心するような情報収集力だ。名前と楸瑛の略歴が読み上げられると右眉を器用に跳ね上げた男は、映画俳優のように両手を広げて驚いて見せた。 「藍楸瑛。ほう、君が藍楸瑛か。まさか有名な国際指名手配犯が侵入してくるとは、我が名声極まったり、ということか」 「勿論です」と部下。 三流だな、と心の中で楸瑛。 都合が良いことに時間稼ぎになっているのにも気付かずに、悠長な奴らだ。さっさと引き金を引くとか拷問なり薬漬けにでもすればいいものを――いや、良くないけど。 さて、そろそろか、と思った楸瑛の心情を見透かしたように、男の顔つきがガラリと凶悪なものへと変わり、再び掴まれた顎は僅かに痛みを感じた。 「その顔、気に喰わんな。何を期待している?助けなど来ないぞ。現在警戒レベルは最大限に引き上げてあり、加えて君のチームのブレーンと名高い李絳攸の役割はあくまでもアシスタント。情報操作やメカが仕事であって実戦向きでないことは調べが付いてる」 「ほう、巷ではそういうことになっているのか」 いつの間にかスポーツ選手がするようなメガネをかけた絳攸が、円柱形の天井から垂れさがったロープを片手にボスの背中を取っていた。もう片方の手にはS&W。背中に銃を突きつけられたボスはまだ信じられない、という顔をしたままゆっくりと両手を上げ、反対に楸瑛は下ろした。 唇をすいと上げて、まるで往来で遭遇したようにやあ、と声をかけると睨まれた。 突然の侵入者に色めき立つマフィアを落ち着かせるため、六発装弾のリボルバーが一度炸裂する。効果抜群。ハッタリでも何でもなく、ボスの命は絳攸の手にあることが示された。最高にクールでドラマティックな展開に楸瑛は口笛を吹きたくなった。毎度ながら見事な手際に惚れぼれする。 「この男の命が惜しくば銃を捨てろ。――おっと、俺はそこの間抜けな男と違って冗談が大嫌いだ。妙な気を起こしたら即座に血を見る羽目になるぞ」 間抜けな男とはこの場合楸瑛に向けられているのだが、ボスに使われたと勘違いした血の気の多い数人が飛び出そうとする。その前に絳攸がちらりと見せたのはプラスティックケースが被さった小型爆弾。少人数対大人数の基本。ざわめく周囲を無視した声音で「俺たちに何かあればコイツが爆発する」と静かに告げた。 「小型だが威力は抜群だ。この建物を吹っ飛ばすことなど造作もない。ここ以外にも世界各地にあるアジトに仕掛けさせてもらった」 「な、何だと…!?そんなの不可能だ!嘘に決まってる!」 いくつかの地名が絳攸の口から発せられるとボスは明らかに狼狽し唸り声を上げた。彼らの中心拠点だ。破壊されでもしたら爆発による物理的被害と警察の捜査の手により彼らは壊滅せざるを得ない。 「俺たちの身に何かあれば起爆スイッチを押すよう指示してある。だがお前たちの命に興味は無い。無事に帰れたら解除しよう」 「し、信用できるか!」 「コイツの寿命は二十四時間。電池が切れたら内部から溶けるようにしてある。その液体にさえ気を付ければ無害の代物だ。――それと親切な忠告を一つ。構造が知りたいからとうかつに分解しない方がいい。爆発する。コイツは俺以外に懐かないからな。無効化しようと液体窒素で固めるのも効果がない」 またとんでもない物を作った物だものだ。 「だからあと二十四時間」 「正確には二十三時間四十八分二十七秒。私が忍び込んだ時間が起点ならだけど」 「無駄な被害を出したくなければひたすら放っておくのが賢明だ」 爆弾の赤いランプを示した絳攸の独壇場だった。かつて物理学者として名声をほしいままにした天才の言葉に本気を感じ取ったのか、楸瑛の背中に当てられた銃が床に置かれ、拘束していた男が数歩下がる。そして冷や汗を流しているボスからも銃を捨てろ、と合図があってからは男たちは例に倣った。 ――チェックメイト。 一瞬重なる視線。笑ってみせたのは楸瑛だけだった。 ギャングたちの銃を回収し終えた楸瑛は「おいこれ」と渡された爆弾に飛び上がって驚いた。 「え、ちょっとこれとんでもなく危険って君さっきそう言ったよね!?君以外に扱えないって!」 「安心しろ。お前の骨は拾ってやる」 「爆発したら君まで吹っ飛ぶから無理だって!」 と言いつつお宝を回収した楸瑛は恐る恐る世界一物騒な爆弾を置き、プラスティックのカバーをそっとはずした。寿命が縮んだ瞬間だったが、絳攸はこともなげに「カバーが外れたら絶対に触るなよ」と言った。そういうことだ。 全く人騒がせな、と小さくぶつぶつ言っていると。 「楸瑛、お前の女だ」 飛んできた愛しのコルトをキャッチし、その銃身にキスを落としてからホルスターに仕舞う。 「何ドジを踏んでるんだ」 「あはは、ごめん。でもその話は後で」 絳攸に続きロープに掴まり自動的に上がるそれで優雅に帰路につく途中、そういえば、と楸瑛。 「何か勘違いしてるみたいだけど」 注目する男たちに危険な微笑みを向ける。 絳攸の本業がアシスタントだって?冗談じゃない。 「彼が我らがリーダーだ」 Mission Completed. その組織には名称がない。No NameやThe Teamと呼ばれると彼らのことを示す。 藍楸瑛と李絳攸その他数名が中心となった謎に包まれたその組織に狙われたが最後。残されるのは敗北以外の何物でもない。 成功率驚異の十割。失敗の文字は存在しない。 世界の頭脳が集まろうと世界の力自慢が集まろうと、狙った獲物は逃さない、それが彼らのミッション。世界一優雅で世界一謎の多い最凶組織。 彼らは今日も華麗に危険を纏う。 2012/01/23 |