一言二言短い言葉を交わして、別々の方向へ進んでいった二人だが、僅かに聞こえた話の内容は、「何言ってんだ、こういう時にその無駄――馬鹿みたいに整った顔を利用しないでどうする」「ちょっと言い直さないでくれないかい。いや、君のようないかにも真面目でひたむきですって雰囲気を持っているほうが、老若男女を含めた万人受けが」といったもので、劉輝は絳攸と楸瑛の背中へ怪訝な視線を数回往復させた。健全な臭いが全くしない会話だ。
 さっきまでのちょっといい話的な雰囲気は、打ち合わせでもしたように同時に戻ってきた二人が抱えたものを見て、ますますどこかへ吹き飛んだ。
 行きと違う箇所を探せ――。間違え探しの答えなら、一番点数が低い部類だろう。
 絳攸は大きな――祭りの炊き出しに使用できるくらい、大きな鍋と、杓と四角くたたまれた白い布を別々の手に持って。そして楸瑛は、赤子の頭ほどもある、すっかり角が取れたまあるい石を両手で抱えて。薄灰色の石は色に反してずっしり重そうだ。
 二人とも妙にかっこいい笑顔を浮かべてるのが、手に持ったものとなんだかちぐはぐだった。
 腕をまくって一言。
「さて、始めるか」
「そうだね」
「あ、これはお前のだ楸瑛」
 楸瑛に布を渡した絳攸は、かわりに受け取った石を近くの共同井戸で丁寧に洗っている。その間に楸瑛は白い布を広げ流れるように自然な動作で、それに腕を通し背中の紐を結ぶ。それは見紛うこなき、割烹着、だ。しかも似合うし、と見ていたら、視線を感じたのか楸瑛と眼が合って――にこっと笑顔を向けられた。
 そしてなんだか知らないが、いつの間にか見物客が湧いて出てきていた。
 目立つ容姿の二人が、鍋に大きな石を抱えていたら、まあ人目を引くだろう。
周囲の視線に全く頓着していませんよ、という風なのに、見世物のような営業用の笑顔を浮かべた楸瑛は、戻ってきた絳攸が両手に抱えた丸い石をコツン、と拳で一叩きした。
「さて、この石を使って美味しいスープを作ろうか、絳攸」
「ああ」
 石でスープ? どういうこと?
 石を焼いて水を沸騰させでもするのか。それにしては大きすぎる鍋と石。
 怪訝な顔をする周りをよそに、絳攸は鍋に石をそっと入れて、楸瑛はその上からたっぷりと水を注いだ。熾した火で藁を燃やして、風を背で受けながら小枝に炎を移す。軍の野営で慣れているのか、惚れ惚れとするような手際に、周りの子供は目を丸くし、大人たちはほう、と息を吐いた。
「ねえ、あんたたち、その…。本当にそんな石っころで何か作るつもりなのかい?」
 一人の女がおずおずと訊いてきた。
「ええ。あまり知られてないのですが、この石はめったにない特別な石で、この石と水だけでとても美味しいスープができるのですよ。ここだけの秘密です」
「そんなの嘘だあ! おじさんたち騙そうったってそうはいかないんだからな」
「そうよ。石で汁なんてできるわけないじゃない!」
 初めはぱらぱらと降ってきた、そうだそうだ、という声が次第に傘らなりそれなりに大きな合唱になった。劉輝は側近たちがつるし上げるさまを、少し離れたところから見てオロオロしていた。ここで出て行っても劉輝にはどうすることもできない。どうするつもりだ楸瑛、絳攸、と二人の顔を確かめると、劉輝の思いが通じたのか二人とも顔を向けてくれたのだが、楸瑛は、そっと片目を閉じて、絳攸は口の端を少し上げた。全然余裕ですよ、というような合図に、安心しつつやっぱり混乱した。まあ二人が大丈夫だと言ってるのだから、平気なのだろう。
「そうだわ! きっとあれよ。ええと…。美人局詐欺なんだわ!」
 気の強そうな女の子が、ぴんと伸ばした腕のその先を、力強く楸瑛と絳攸の間を行き来させて叫んだ。楸瑛と絳攸は一瞬顔を見合わせてて、次に声を上げて笑った。
「つ、美人局! 結婚詐欺とは言われたことはあるけど、これは初めて!」
「最近の子供は難しい言葉を知ってるんだな!」
 女の子は指差ししたまま真っ赤になっていた。眼に力が入ってるから、泣き出す瞬間なのかもしれない、と劉輝が危惧していると、ひとしきり笑った絳攸はその女の子の側まで来て、片膝を立てて目線を合わせた。
「笑ってしまって済まない。馬鹿にしたわけではないんだが…反省してる。君は君の母親が騙されないように心配してああ言ったんだろ?」
 絳攸に頭を撫でられて、眼の端に涙をためた女の子は下を向いてしまった。それでもかすかにコクンと頷く。少し乱暴に頭をかき混ぜた後、なんと絳攸は「偉い」と言いながら女の子をひょいっと抱き上げた。驚いて泣きたい気持ちがどこかへ飛んでいってしまった少女を抱えて、絳攸は鍋の近くまで来た。
 今度は楸瑛がその女の子の髪を梳きながら、優しく笑う。
「お兄さんたちはね、本当に石のスープを作るんだよ。傷つけてしまったお詫びになるか解らないけど、君も食ていってね」
 しばらく楸瑛の顔を吸い寄せられるように見入っていた女の子が、首を縦に振った。それを受けて楸瑛と絳攸は笑った。女の子は若干さっきとは違う意味で、顔を赤くしている。これでは詐欺と言われても仕方がない、と劉輝はちょっと思った。
 絳攸の腕から降ろされた女の子は、まじまじと鍋を見つめた。中はもちろん水と石だ。透明な水に、色張った水のせいで少し膨張して見える石。隙間から鍋底の色までわかるほど、何の変化もない状態に少女は首をかしげた。においだってしない。
 一人が近づけば、人の好奇心は一気に爆発する。次々に鍋の周りにそれまで遠巻きに見ていた人々が集まり、好奇心丸出しで覘いて行った。
「危ないから火にはあまり近づかないように」
「ねえ、おじさんたち。これもう出来てるの?」
「全くおいしそうに見えねえなあ」
「まだまだ。沸騰するまで待たなきゃ美味しいスープにはならないのですよ」
 衆目を浴びた鍋の中身が沸騰したのは、それからしばらくしてからだった。水が煮立っただけにしか見えない。だが杓で中身を掬って口をつけるた楸瑛は、なんと花がほころぶように、にっこりと笑ってみせた。
「どうだ?」
「うん、美味しいよ」
 その後少し斜め上を見て、杓を持っていない方の手で、あごに人差し指を当てた。その姿は、純白の割烹着を着ていることもあって、どこからどう見ても少し、いや大分大柄な主婦だった。
「でもそうだね…。うーん。塩。塩気が少し足りないかなあ。塩があればもっと美味しくなるのに」
 残念そうに、思わず漏れてしまった呟きと同時に、数人がその場を駆け出し、塩が入った小壺を楸瑛の前に差し出した。
「これ、使ってもいいのかい?」
 こくこく頷く子供の後ろで、素早く保護者を確認し、了承を得る。ありがとう、と笑って数人から少しずつ塩を分けてもらい、それを鍋の中に入れた。何度か杓でかき混ぜて、掬ったものを今度は絳攸に渡す。一啜りした絳攸も、思わずといった笑顔を浮かべながら、満足そうに頷いた。劉輝だって偶にしか見られないような、極上の微笑だ。
「やっぱスープは石のスープに限るな。うまい!」
 劉輝もとうとう我慢できなくなって、次第に人が人を呼んで膨れ上がった輪の中に入り込んだ。出遅れてしまった分、火元からだいぶ遠ざかってしまった。ぴょんぴょんと跳ねながら、ちらっと見えたのはやっぱり透明の液体と灰色の丸で、ますます頭がこんがらがった。
「この石の味には玉ねぎが合うだろうな」
 研究家のような神妙な顔で言えば、パタパタという足音とともに、すぐに玉ねぎが差し出された。
「感謝する」
 そうして、胡椒や料理酒、鶏肉や芋に人参などが、が少しずつ加わるたびに、人が増え、おいしそうな匂いが充満してきた。そしていつの間にか鍋底や石の姿はすっかり隠れてしまっていた。
「甘藍があれば完璧だ」
 差し出された緑の玉を、小刀でざく切りにし、鍋へ入れる。ぐつぐつと煮立つと、食欲を刺激する何とも言えないにおいは、ますます広まる。ここまでくれば、集まった多くの人はお腹を空かせたような顔を隠せないでいた。折しも昼時。朝から何も食べてない劉輝など、このかおりのせいでお腹が何回なったかわからない。
「さて、最後に」
 楸瑛と絳攸は、衆人の顔を見渡して、一言。
「みなさんお皿をご用意してください」
「食べるぞ!」
 オオー、という怒号のような声が、周囲に響いた。


「はい、劉輝様の分です」
 そういって差し出された椀には、熱々の液体がたっぷりと入っていた。
 鍋の周りにできた大行列がすっかりと捌けた後だった。
 水辺はずいぶんにぎやかで、その誰もが石のスープを食べて笑いあっている。劉輝は椀など持ってなくて、誰かに借りようかそれとも今から店まで戻って買おうかと迷っていたところだったのに。このスープの作り方など、何か言いたいことがあったはずなのに、大きめの器に注がれた汁を受け取ったら、食欲の塊になってしまった。一口食べる。何ともいえない深い味に、劉輝は一度手を止め、汁をまじまじと見た後、猛然とかき込む。
 その様子を見て、楸瑛と絳攸はこっそり笑いあった。二人も腰を下ろして食べ始めたのだった。
「あ、ちょっと劉輝様。そんなに乱暴に食べるから汁がこっちに飛んだじゃないですか」
「ふ、ふまん」
「食べるかしゃべるかどっちかにしろ」
 そんな何気ないやり取りが、なぜか劉輝には新鮮だった。そうだ。最近劉輝は苛立っていたからだ。
 手を休めて、器の中を見る。もしかして――。ある予感に劉輝は、少し息を呑んだ。聡い側近たちが眼で問いかけてくるが、咳こむことで何か訊かれるのを回避した。その代り、そんなに慌てて食べるから咽るんだ、という小言をもらったが。
 ――もしかしてもしかして。
 一心不乱に食べるふりして、劉輝は俯いた。
 最近劉輝はあまり食欲が湧かなかった。塞込んでいたのが、影響したのかしらないが、あまり何か食べたいと感じることがなく、出されたものに少し口をつけるだけで食事が終わっていた。こっそり庭院に出没する猫や鳥にあげていたのだから、誰にも気付かれていないと思っていたのに。
 絳攸や楸瑛だけではなく、周囲のだれよりも大振りな椀。たくたんの野菜と鶏肉が入った栄養たっぷりのスープ。
 ああ、何ということだろうか。
 劉輝は心の中で嘆息した。
 こんな偶然、この二人に限ってあるはずない。
 ますます顔を俯ける。
「劉輝様。どうかされましたか?」
「なんでもない。このスープ、美味しい」
 二人が笑う気配がして、劉輝もばれているかもしれないが、こっそりと涙を浮かべながら微笑んだ。きっと変な顔をしているに違いないから、見せてやるものか、と思っていたのに、何故だか二人の笑みが深まった気がした。なんだか悔しくて態と音を立ててずずっと啜ったのに、こんな時に限って何も言わないなんてずるい。

 国が疲弊していたらこんな風に人々は、食べ物を差し出してくれなかったかもしれない。
 ――私たちはあなたの掌に、あなたの望むものをのせるためにいるのです。
 劉輝の願いは、いい王様になることだ。ずっとこれからも。漠然としているが、あれこれと一つずつ列挙して、漏れてしまうものよりいい。
 絳攸と楸瑛は、何かくだらない話をしながらふざけている。
 子供の、大人の顔を見る。みんな楽しそうだ。
 汁を食べ終わった数人は、川で再び遊び始めた。水を掛け合って、騒いで――。
 ふと空が目に入った。いつの間にか雲間から除くのは、まだ抜けるようにとは言えないが青空で――。川沿いの桜はほんのりとした蕾をつけている。
 春は近い。

 身体の中心から温かくなって、劉輝は瞳を閉じて、微笑んだ。




2012.5.05
※「石のスープ」は実在する民話で、石のスープというスープも存在するようです。