「骸骨(略)」のネタバレがあります。未読の方はご注意ください。 派生的な小説ですが捏造過多なので、「じゃあこれいつの話?」と言われると答えられないようなオリジナルの話でもあります…。 また、西洋の民話をミックスした話です。展開上というかイメージ的な問題で、題名にあるカタカナ語をそのままの表記で使用しています。 以上を踏まえたうえで、読む読まないをご決断ください。 ↓(要スクロール) この日も早くから目が覚めてしまった。ぽっかりと開いた目が映すのは、薄闇で色褪せた世界。焦燥感に苛まれた劉輝は、そのまま寝台の上で寝転がっていることはできずに、身体を起こした。 壁を隔てて時折気配がする。さすがに女官たちの朝は早い。 だが劉輝は彼女らに声を掛けるどころか、気付かれぬようそっと夜着に手を掛けた。 帯紐をほどきながら窓に眼を向ける。 落ち始める南天の実。枝だけの桜。薄雲がかかった昊。茶色が目立つ山から時折吹き付ける強風は、落ち葉を揺らしてカラカラと乾いた音を立てる。 明けたばかりの密やかな時間。朝靄に誘われるように、劉輝はそろりと外へ出た。公休日の――それもこんな早朝だからそもそも人が少ない。衛兵の目を盗むのも武術に長けた劉輝にはさほど難しくなかった。 当てもなく市中をさ迷い歩く。日が昇り始めてまだ一刻ほどの時間に動いている人はほとんどいない。時折竿を背負った漁師とすれ違うくらいだ。足が赴くままに歩いていたら、いつの間にか見知らぬ河川敷に出ていた。 手ごろな石に座る。初春だというのに寒い。本当はまだ冬の終わりで、春は来てないんじゃないかと思うほどだ。川沿いにある木だってまだ裸のままだし。 薄物一枚で出てきてしまった劉輝は、それでも震えることなくじっとしていた。心の中にもっと冷たくて、暗い塊を持ってしまっているから気にならないのだ。――あの秋の日以来ずっと。サーッと降り注ぐ雨の音が今でも時々蘇って、その度に体の中心から冷えていく。深々と。筆舌に尽くしがたい喪失感が劉輝を襲った日。思考を振り払いたくて、眼を閉じて頭を左右に振ったが、この呪縛はそんな生易しいものではないことを、劉輝は熟知している。 理解されない日々。奇妙な眼で見られる時。苛立ちと虚無が交互に劉輝を襲った。それは今も変わらず、劉輝を悩ませ続けているのだから。 自分は決してきれいな人間ではないと劉輝は思う。我儘をたくさん言って、頼りきって失って、初めて気付いて――。いや、本当はずっと何をすべきか解っていたのに、頭と心がぐちゃぐちゃで、できなかった。本当の自分はこんなだからとても晒せたものじゃない。だから耐えねばならないのだ。重くても冷たくても空っぽでも。嫌われたくないから。もうなにも失いたくないから。 そうしてどれくらいたったのだろうか。もしかしたら少し眠っていたのかもしれない。だとしたら起こしたのは今も聴こえる高い笑い声だ。 顔を上げると、まだ寒いというのに川には子供がいた。 十程の男の子がきゃあきゃあ嬌声を上げながら、湖の澄んだ水を一掬い、宙へ放った。 一緒になって川で遊んでいる子供たちがそうするように、劉輝もその軌跡を目で追った。 青空とは程遠り曇天に高く跳ねた水しぶきは、それでもきらきらと輝き、美しく光る。劉輝の心と正反対のそれに、眩しくて目を眇めて、再び水面まで落ちていく瞬間まで視た。 劉輝の中身はきっとこの昊のように、灰色で重くて。何もかもを覆い尽くす闇が待っているかのかもしれない――。劉輝はそれがひどく嫌だ。嫌なのになのもできないから、時々叫びたくなる。窒息するような閉塞感はそれでも何かを失うよりか、マシで――。 視界の隅で、何か動いた、と思ったら急に本当の暗闇に覆われた。混乱してじたばたする劉輝だが、頭から被せられたその何か――布を掴んだのと、怒鳴り声が降ってきたのは同時だった。 「こんなところで何やってんだ!」 ぴたりと手足の動きを止める。 「本当ですよ。そんな金子に足が生えて歩き回ってるような恰好で出歩かないでください」 この声は――。 「絳攸? 楸瑛?」 視界がふさがれたまま言えば、取り除かれる障害物。開けた視界には予想通り側近がそろっていた。腕を組んだ絳攸は不機嫌なのを隠さない顔で、腰に片手を当てた楸瑛はものすごく真面目な表情で。 「阿呆みたいな呆けた顔して本当に呆けててどうする。俺の気配すら読めないで。もし俺が悪党で、何か悪するつもりだったらどうするつもりだ。自ら危険を招くような真似はするな」 「た、確かに余はちょっとぼーっとしてたが、何かあれば大抵気づくぞ。そもそもそなたの気配などなかったし」 楸瑛はともかく、文官のくせに最近絳攸までも気配を消す技を覚えたからいけない。いや訓練した素振りはないから、いつの間にか身についていたのだろう。気付いたら劉輝の後にいるのだ。何度驚かされたことか。おまけに紅黎深のような相手を威圧する空気を纏い、それを自在に操るからたからたまったもんじゃない。新人官吏を一睨みで泣かせたとか――噂は絶えない。怖くて言えないから、心に閉まっておいた。 「劉輝様の姿が見えないと聞かされて、私も絳攸も心配したんですよ」 その一言で劉輝は何にも言えなくなってしまった。後悔と反省と、隠せないちょっぴりの嬉さと疾しさ。誤魔化すように、ボソッと「済まない」と詫びれば、ため息で呑み込んでくれたのが伝わった。 「取り合えず、これを着てください」 眼前に差し出された布。劉輝の視界を奪ったものの正体が上着か。色を抑えた地味なものだ。金が足をはやして云々言っていたからか、これを着てどうにかしろということか。そういえば絳攸も、あの楸瑛さえも味気ない恰好をしている。なんて思ってぐずぐずしていたら、絳攸の視線を感じて、慌てて腕を通した。劉輝とて寒くないわけではないから、上着は素直にありがたかった。 立ちはだかる二人を見上げる。諌められた時とはまた違う真剣な顔をしていて、面喰った。 この表情を劉輝は知っている。――本当に本気の時に側近たちは、こんな風な真っ直ぐな眼を劉輝に向けるのだ。勝手に城を飛び出したのを、まだ怒っているのだろうか。見ようによっては逃げ出したように思われても仕方がないと気づいて、劉輝は青くなった。もしかして信頼を失ったのだろうか。 オロオロする劉輝に向けられた視線は、時折見せるようになった迷いや躊躇いがすっかりと消えた、曇りがなく研ぎ澄まされたもので――。不安になる。 「劉輝様」 最初に口を開いたのは楸瑛だった。 「私たちは、あなたのことを理解しているつもりで、その実何も解っていなかったのかもしれません。そのせいで傷つけたこともあるかと思うと、己が悔しくてたまりません。私たちはあなたの臣下なのに。――申し訳ございませんでした」 横の絳攸と一緒に、自らを恥じるように頭を下げる。 「――そ、れは」 絳攸や楸瑛がこうして謝ることとは少し違う。どう伝えたらいいのかわからず、言葉を探してもごもごとしているうちに二人は顔を上げた。 「それでも私たちはあなたの掌に、あなたの望むものをのせるためにいます」 「私たちは私たちのやり方で必ず。全て手に入れてみせます」 「もしそれが間違っていたら、私と楸瑛がいくらでも直してみせます。ですから」 二人は表情を和らげた。 「気が向いたらでいいので、なんでもおっしゃって下さい」 思いがけない状況だ。劉輝は途中からゆるりと目を見開き、同時に言葉を失っていた。瞬きと同時に、すごい言葉を受け取ってしまったと実感して――脳が痺れる。全てを――劉輝の暗い部分も含めて受け入れてくれるというのか。 ドキンドキンと高鳴る胸。――そう、これは高揚感だ。そして、ぽうっと何かが灯ったような感覚。 「だからそこで俺たちの手際を大人しく見てろ」 「私たちだって結構やるってところをお見せします」 一度ずつ、劉輝の頭をかきまぜた力強い手。自信満々な逞しい笑顔は逆光でも輝いた。 二人の背中を、しばらく呆然と見守った劉輝は、掌を見る。きゅっと握って、それを胸に当てた。 劉輝の心の中にある冷たくて重い氷が少しだけ解けた気がした。 |